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中西洋さんが亡くなりました

2018/ 10/ 28
                 
向社会性研究所の顧問・同人の中西洋さんが亡くなられました。
東京大学経済学部教授、同名誉教授。当研究所の代表の星野進保さんとは大学の同級生で、お互い助け合い、ずっと交友を続けておられました。星野さんは今年1月に、そして今月に中西さんと、同じ年に旅立たれました。このお二人が中心になって、仲間たちでこの研究所を立ち上げたのですが、今頃は向こう岸で仲良く語り合っておられることでしょう。
ご冥福をお祈りします。
                 
        

再掲 自民党の憲法改正案と治安維持法の恐怖   小榑雅章

2018/ 10/ 25
                 
「ジャーナリストのカショギ氏虐殺」に関連して、我が国にも治安維持法という法律によって多くの人たちが虐殺にあった、ということを先日、このブログに書いた。そうしたら、「治安維持法について知らなかった、教えてほしい」という声と、そんな70年も前の戦前のことと現在を一緒にするのはおかしい、という意見が寄せられた。
ここでいま、あえて治安維持法に言及したのには意味がある。戦前の昔のことではなく、今現在の私たちの問題だからである。実は半年前の3月に、このブログで取り上げたので、それを再掲させていただく。ぜひご覧いただきたい。
自民党の憲法改正案と治安維持法の恐怖
2018/ 03/ 27                
先週の3月22日、新聞各紙は、「自民党の憲法改正推進本部は、9条改正案として、戦力不保持を定める2項を維持して「自衛隊」を明記する方針を決めた。それは、新たに9条の2を設け、必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織」と位置づけて自衛隊を保持する案に決めた」と報じている。
これは大変なことで、国民の重大な関心を集めている。その陰で、あまり騒がれていないが、じつは憲法9条改定と変わらないほど重大な改定案が盛り込まれているのだ。
それは21条表現の自由という条文である。
現行の憲法の21条は
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

それを自民党は次のように変えようとしているのである。
自民党案の21条は
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにこれを目的として結社をすること は、認められない。
3 検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。

この新しく付け加えられた第2項に注目して頂きたい。
 「公益及公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにこれを目的として結社をすることは、認められない。」とあるが、「公益及公の秩序」とはいったい何なのだ。誰が「公益かどうか」を決めるのか。どのような理由で「公の秩序」と認定するのか。
時の政府が、自分たちの都合の悪いことや意見の違ったことを「公益に反する」と決めたら、その集会や結社は、禁じられるのか。
そこのところをきちんとしない限り、言論の自由、集会結社の自由は危うい。

戦前に治安維持法という法律があった。
大正 14年にできた法律で、思想運動,大衆運動弾圧の根拠となった法律である。
「国体ヲ変革シ,及ビ私有財産制度ヲ否認セントスル」結社や運動を禁止するための法律で、違反者に懲役 10年以下の実刑を科した。さらに 次々と法改正を行ない、「国体変革」の罪には死刑をも適用することにした。
怖いのは、本人の意図に関わらずある行為が結社の目的遂行のために行なっていると勝手に当局が見なせば、自由に検挙できる「目的遂行罪」が加わったことだ。
つまり、自民党の憲法21条案は、この「目的遂行罪」の恐れがある。
「公益」にも「公の秩序」にも明確な規定がなく、時の権力が自分に都合よく解釈しかねない。戦前の歴史が多くの前例を残している。「公益及び公の秩序を害することを目的」と当局が見なせば、勝手に検挙できるかもしれないのだ。まさに治安維持法の「目的遂行罪」に変身しかねないのである。
治安維持法は、第2次世界大戦後の 1945年 10月に廃止されるまで、思想、学問、言論、表現などの自由への弾圧の法的根拠となった。そのための逮捕者は数十万人といわれ、拷問などで獄死した者は400人以上とされている。
9条改悪も許されないことだが、この21条の改悪も、絶対に認めてはいけない。
言論の自由、結社の自由こそ、民主主義の根幹なのである。このことが、保障されない憲法など、とてつもなく恐ろしい。絶対に認めてはいけない。
新聞社や放送局、ジャーナリストたちが、なぜ大問題だ、驚くべき時代の逆行だ、と主張し、反対しないのだろうか。注意を喚起したい。

                 
        

フリージャーナリストと会社員記者と自己責任  小榑雅章

2018/ 10/ 24
                 
「内戦下のシリアで2015年6月に行方不明になったフリージャーナリストの安田純平さん(44)とみられる男性が解放され、トルコ南部アンタキヤの入管施設に保護されたとの情報がカタール政府から寄せられた」と政府が発表した。
3年半もの間、行方不明で危惧されていたが、解放されたとのニュースはうれしい限りである。今日のテレビのニュースショーでも、いろいろ取り上げられているが、案の定、識者と称する人物が、「そんな危険なところへ行くのは自己責任だ、結局人質にされて政府の御厄介になる、迷惑になることがわからないのか」という論評をしている。識者と言ってもいろんな見識があるだろうが、ジャーナリストの役割がわかっているのか、疑問だ。
このブログでも何回もジャーナリストの使命については書いているが、ジャーナリズムの存在価値は、<真実>の報道である。権力側は、自分の都合のいいニュースしか流さない。国民は、ほかに情報がなければ公式報道が事実だ真実だと受け取るしかないのだ。それが真実であるかどうかを見極め、違っていれば、真実はこうだ、事実はこうだと報道するのがジャーナリズムの役割なのである。
権力の嫌がる、隠したい事実を知ろうとすれば、当然邪魔される。命の危険もあるかもしてない。前に書いたサウジアラビアのジャーナリストのジャマル・カショギもその一人だ。
安田純平氏が赴いた戦場は、シリア政府と反政府が戦っている危険極まりないところである。政府と反政府とどちらが正しいかは、立場によって異なるが、確かなことはこの内戦によって多くの市民が命を奪われ、たくさんの子供たちが食料もなく、負傷し逃げ回っている悲惨な状況だということだ。だから、世界中で、子供たちを救え、早く停戦するべきだ、という声が上がっているのである。
しかし、その悲惨な大変な状況だということは、誰が知らしてくれたのか、ジャーナリズムである。ジャーナリストが現地に赴き、危険を覚悟して取材をして発信しているから、世界中が知ることができる。その取材を続けている記者は、欧米をはじめ世界中のジャーナリストが取材に入っている。命の危険を承知で取材をしているのだ。
では、日本の記者はどうしているのだ。日本の記者の多くは、新聞社や通信社、テレビ局の社員だから、自社の規則があり、危険な取材は止められている。だから行けない、という言い訳もできる。しかし、戦闘地域や被災市民の現状は報道したい。
フリーのジャーナリストは、危険地域に入るか入らないかは自己責任だ。そこから、情報が取れれば報道機関も助かるし、じつは政府も、非公式に現地の情報が得られるのだ。
安田さんも、どんなことになろうとすべての責任は自分だ、と明言している。使命感をもって出かけている。なかなかできることではない。賞賛に値すると思っている。
                 
        

ジャーナリスト・カショギ氏と小林多喜二  小榑雅章

2018/ 10/ 22
                 
トルコ、イスタンブールのサウジ総領事館で、ジャーナリストのジャマル・カショギ氏が、虐殺されたという事件は、世界中を震撼させている。
権力に逆らうものは、このようになるという見せしめだ、という見方もある。
事実はどうかわからないが、自分の気に入らない輩は抹殺するという権力者の姿勢は、絶対にあってはならない、許されないことなのだ。おぞましい、まさに恐怖だ。
しかし、遠いアラブの王国の出来事で、自分たち平和な日本では絶対に起こらないことだ、と他人事として遠望していていいのだろうか。
私はジャーナリストの端くれである。かつて、暮しの手帖で働いていた時に、編集長の花森安治にこういわれた。
「君らはそれでもジャーナリストか。ジャーナリストというのはそんな甘っちょろい仕事ではない。命がけなんだ。君らに、監獄に入ってもいいという覚悟があるか。ジャーナリズムの使命は、権力の監視だ。権力は自分のやりたいことを恣しいままにする。それが国民のためにならないと思ったら、生命を懸けても闘わなければならない。ペンを武器に発言しなければ、ますますこの国は悪くなる。ジャーナリストというのはそういう仕事だ、こころして記事を書け」
正直、この時の私には「監獄に入れられる」というのが、実感としてわからなかった。しかし、花森さんにとっては、他人ごとではなく、我がことだった。
「1933年(昭和8年)2月20日、岩田義道が虐殺されてから3カ月後、プロレタリア文学の作家、小林多喜二は、詩人の今村恒夫とともに東京・赤坂福吉町の街頭で検挙され、わずか7時間後に築地署で虐殺されました。虐殺については、築地署の留置場にいて目撃した人や、遺体を見た人たちの多くの証言があり、作家・手塚英孝が『小林多喜二』に詳細に記録しています。拷問の凄惨(せいさん)さは、安田徳太郎医学博士とともに遺体を検査した作家・江口渙が「作家小林多喜二の死」にリアルに描写しています。/…首には一まき、ぐるりと深い細引の痕がある。よほどの力で締められたらしく、くっきり深い溝になっている。そこにも、無残な皮下出血が赤黒く細い線を引いている。左右の手首にもやはり縄の跡が円くくいこんで血がにじんでいる。だが、こんなものは、からだの他の部分とくらべるとたいしたものではなかった。さらに、帯をとき、着物をひろげ、ズボンの下をぬがせたとき、小林の最大最悪の死因を発見した私たちは、思わず『わっ』と声をだして、いっせいに顔をそむけた…」「小林多喜二の死は、翌21日の臨時ニュースで放送され、各新聞も夕刊で報道しました。しかし、その記事は『決して拷問したことはない。あまり丈夫でない身体で必死に逃げまわるうち、心臓に急変をきたしたもの』(毛利基警視庁特高課長談)など、特高の発表をうのみにしただけでした。そればかりか、特高は、東大・慶応、慈恵医大に圧力をかけ、遺体解剖を拒絶させ、真相が広がるのを恐れて葬儀に来た人を次々に検束しました。(2007年2月17日「しんぶん赤旗」)
1933年(昭和8年)2月、この時花森さんは22歳、東京帝国大学に入学する。
「ジャーナリストは監獄に入れられて死んでもいい覚悟がいるんだ」という花森さんの言葉の裏には、治安維持法がある。拷問で虐殺、獄死したのは小林多喜二だけではない。この法のために獄死した人は、「拷問で虐殺、獄死194人、獄中で病死1503人、逮捕された人は数十万人」(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟調べ)
遠いアラブや昔の江戸時代のことではない。我々の親の世代のついこの間の我が国の仕業だ。わが日本は、手の届くような過去に、無実の人を何十万人も検挙し、拷問し虐殺してきた血塗られた歴史を背負っているのだ。
もっと恐ろしいのは、今なお政府は、この治安維持法による拷問や虐殺の事実は知らぬこととして、事実を認めていない、ということだ。都合の悪いことは、知らない、記憶にない、と白を切る。まるでモリカケだ。その体質がある限り、我々はまた治安維持法の轍を踏み兼ね合いのではないかと恐れるのである。
君はジャーナリストだ。監獄に入る覚悟があるか。
時代は悪くなっている。
権力は、恣しいまま、やりたい放題だ。
これからの世の中、どう考えたって悪くなる。荒廃する。
いまペンを武器に発言しなければ、ますますこの国は悪くなる。
…花森さんの声が聞こえる。
                 
        

昭和35年の「生活白書」 星野進保

2018/ 09/ 28
                 
昭和35年(1960)の「生活白書」(経済企画庁)は、「生活革新といってよいほどの日常生活の大変化が、げんにわれわれの近辺で進行しており」とまず書き出しました。
「まず第一に、生活の面では、家事労働節約的な商品の購入がふえていることである。食生活における、缶詰類やハム、ソーセージなどの加工食品の増大、さらに最近では即席カレーやスープ、ラーメンなどのいわゆるインスタント食品の抬頭、あるいは外食やてんやものの注文の増加がそれである。衣生活においても、婦人、子供服などにおける既製服購入の増大、家で普段着の洋風化は、自家で裁縫する機会を少くする傾向にある。またつぎに述べる耐久消費財の普及と関連する。洗濯機や掃除機、電気釜、冷蔵庫などの導入による家事労働節約の効果も著しい。
第二の特徴的な傾向は、耐久消費財の急激な普及である。戦前は相当裕福な家庭でも所持している家庭用耐久消費財といえば、ラジオ、ミシン、扇風機ぐらいのものであった。ところが現在では、前述したとおり、都市世帯においてはテレビ、カメラ、洗濯機などをすでに二世帯に一台の割りで持っており、電気冷蔵庫や掃除機も逐次普及しつつある。さらに、
第三の傾向としては、最近におけるレジャー(余暇)消費の増大があげられよう。テレビの普及もこのあらわれであるが、最近では家庭内においての余暇消費から、家庭外におけるリクリエーション、旅行やスポーツが盛んになる傾向がある。」と列挙しています。
昭和40年代前半には、わが国のGNP(国民総生産)がアメリカに次ぐ世界第二の経済大国になりました。消費革命の高度化も足早でした。
住宅については、2DKから3DKの家へ拡大していきました。耐久消費財も、三種の神器(テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫)から3C(カー、クーラー、カラーテレビ)へとステップを高めていきました。交通体系も高速化時代に飛躍しました。昭和39年(1964)の東京オリンピックを境に新幹線、高速自動車道路が日本全国をつなげ始めました。海外旅行も外貨持出制限を気にせずに自由になっていったのもこの頃です。まさに商品の大量生産や大量消費、内外の旅行、バカンスなどがマスコミのコマーシャルにのって豊かさが演出されました。
国民意識は「中の中」の豊かさに集中し、人生の目標が、「私生活化」し、持ち家をもって夫婦子供4人の家族生活を築いていく、いわゆる「マイホーム」の生活スタイルが輝いていました。
“今後の生活の見通し”について、良くなるとするのが50%以上、悪くなるがわずか7%(国民経済研究所 昭和37年 1962 東京・大阪住民対象)と明るく、楽観的なものでした。
第二次世界大戦後の15年間のアメリカ経済でも、“欲望が私たちの行為を強力に追いやったのは、楽観的で、確信をもち、安心している時である”といわせています。(ジョージ・カトーナ「パワーフル コンシューマーズ」)“新しい一般に受け入れられた生活様式は大衆によるもので、決して上流階級の人々が始めたものではない”とつけ加えています。
                 
        

『闘う商人 中内㓛』刊行記念トークイベント

2018/ 09/ 08
                 
『闘う商人 中内㓛』刊行記念 小榑雅章さんトークイベント
「ダイエーは何を目指したのか」
日時2018年9月20日(火)
19:00 - 21:00 
場所 岩波ブックセンター神保町
参加ご希望の方は、http://www.jimbocho-book.jp/376/にアクセスして、ご予約ください。
闘う商人
価格破壊、流通革命の旗を掲げて、日本一の流通業ダイエーをつくり上げた中内功。
頂点を極めながらも、なぜダイエーは崩壊してしまったのでしょうか。私たちはそこから何を学び、これからの日本への教訓としたらよいのでしょうか。「暮しの手帖」の花森安治 とダイエーの中内功 、二人のカリスマの側近だった著者小榑雅章さんが、本書で伝えたかったこと、間近かで見た中内さんの知られざる横顔などを語ります 。
お聞きくださるのは共同通信記者の萩原里香さんです。
小榑雅章(こぐれ・まさあき)
現在、「向社会性研究所」主任研究員。
著書に『良心ある企業の見分け方』(宝島新書・2006年)、『思いやりはどこから来るの?――利他性の心理と行動』(共著・誠信書房・2014年)『花森さん、しずこさん、そして暮しの手帖編集部』(暮しの手帖社・2016年)、『いま言わずして』(共著・三恵社・2017年)など。

萩原里香(はぎわら・りか)
京都市出身。2007年共同通信入社。広島支局、大阪社会部などを経て文化部で出版担当。

                 
        

離島防衛用部隊「水陸機動団」が参加の自衛隊大演習   小榑雅章

2018/ 08/ 27
                 
昨日26日に、陸上自衛隊は国内最大規模の実弾演習「富士総合火力演習」を東富士演習場で実施し、参加兵力は、戦車・装甲車約60両、航空機約30機、人員約2000名。弾薬などにかかる費用は約4億円。
離島の奪回を想定した訓練も行われ、3月に新設された離島防衛用の部隊「水陸機動団」が初参加した。上陸用の水陸両用車を使った実弾射撃なども実施された、…と報道されている。
映像を見ると、戦車が疾走し、砲弾が激しくさく裂、土煙が上がる。ヘリがホバリングをし、銃を携えた隊員が次々と飛び降り、攻撃に向う。戦争である。
一緒に映像を見ていた若者が、すげえ、かっこいいな、と歓声を上げている。
この演習には、一般人も参加し、見物している。その参加者は、どういう思いでこの戦争の光景を見ているのだろうか。かっこいい、と眺めているのだろうか。
記事を書いたり、映像を撮影したりした記者たちはどう感じたのだろうか。当然、戦争体験などないだろうから、やはり、かっこいい、と思っただろうか。少なくとも、この光景に違和感は感じなかったのだろう。
私は、怖かった。この光景が現実に起こったら、実弾が飛び交い、さく裂する、そこにいる兵士の肉体は粉々に飛び散り、何人も何十人も死ぬのである。勇ましくもカッコよくもない。死と苦悩苦痛の世界なのだ。
離島防衛用の部隊「水陸機動団」というのも初めて知った。尖閣列島を想定しているのだろう。
そうなら尋ねたい。もし中国が尖閣列島に上陸してきたら、本気で戦うのか。「富士総合火力演習」のように、砲弾を撃ち、突撃をして断固奪還するのか。演習ではない。実戦だ。砲弾がさく裂し、実際に何十人、何百人の自衛隊員が死んでいく。それでもいいのか。かっこいいのか。
教えてほしい。その自衛隊員は、なんのために死ぬのか。人っ子一人住んでもいない遠い離れ小島のために、死ぬのか。
あの太平洋戦争の時には、「お国のために死ね」と言われた。お国というのは、国体、つまり「天皇陛下のために死ね」ということだ。天皇陛下のために命を捧げる、と戦死していった。
いまは、日本国は、国民主権だ。国民のものだ。国民を守る、というのなら、まだわかる。しかし、誰も住んでいない、一人も国民のいない、遠い小島を守備するために、死ぬのか。
日本国土は1寸たりとも断固守る。そのために日本人が何人死のうと、防衛のためだ、国境を守らなければならない、というか。
それなら、聞きたい。竹島は日本固有の島ではないか。そこへ韓国の国会議員も大統領も上陸し、世界中にその光景を誇示している。日本国土が侵されているのに、なぜ、自衛隊を派遣し、銃砲をもって防衛しないのか。
もう一つ聞くが、北方四島は日本固有の領土だというが、離島防衛用の部隊「水陸機動団」を派遣して断固奪還したらいいのに、なぜやらないのだ。尖閣などの無人島と違って、国後にも色丹にも、勝手の日本の住民がいて、帰りたいと言っているのに、なぜ、奪還しないのか聞きたい。
国内最大規模の実弾演習「富士総合火力演習」は、何なのだ。安倍首相は、頑張っている、日本は断固防衛だ、という宣伝のためか。そういえば、北朝鮮からミサイルが飛んでくると宣伝をして国民を怖がらせ、断固防衛だと、国会前に迎撃ミサイルを並べらた光景を思い出す。あれで選挙に勝ったとか聞いたが、空耳か。