創価学会牧口初代会長はなぜ獄死したのか    小榑雅章

2017/ 06/ 15
                 
創価学会は、1930(昭和5)年11月18日、牧口常三郎初代会長と戸田城聖第二代会長(当時理事長)によって創立されました。
牧口初代会長と戸田第二代会長、このお二人がおられなければ、創価学会も公明党も、この世に存在しないのです。
信者827万世帯と称する皆さんにお伺いしますが、このお二人がどんな目にあったか、ご存じですよね。
1943(昭和18)年7月6日、牧口会長・戸田城聖理事長をはじめとする創価教育学会の幹部21人は治安維持法違反・不敬罪で逮捕、投獄され、拷問も受けました。しかし、みな信念を曲げず、牧口会長はとうとう獄中で亡くなったのです。
創価学会は、治安維持法の下、どれほど思想・信教の自由を迫害されてきたか、その迫害の歴史を創価学会自身のホームページに、つぎのように記しています。
「戦争に突き進む日本の軍部政府は、昭和10年代後半から、本格的に思想の統制に乗り出し、やがて、国家神道を全国民に強制するという暴挙に出ます。 
牧口会長は、これに真っ向から抵抗。各地で活発に座談会を開催し、軍国思想を堂々と批判し、仏法の正義を説き続けたのです。迫害は必至でした。特高警察は、1943(昭和18)年7月6日、牧口会長・戸田城聖理事長をはじめとする創価教育学会の幹部21人を治安維持法違反・不敬罪の容疑で逮捕、投獄したのです。
真冬に暖房もない極寒の独房、栄養失調になるほどのわずかな食事、連日の厳しい取り調べ――それでも牧口会長は、信念を曲げることなく、不屈の闘争を貫きます。しかし、牢獄での過酷な日々は、70歳を超えていた牧口会長の体を確実にむしばんでいきました。
1944(昭和19)年10月13日付で獄中から家族にあてた手紙。『三障四魔が紛起するのは当然で、経文通りです』との、信仰への確信にあふれた言葉が、牧口会長の絶筆になりました。1月後の、11月18日。牧口会長は獄中で亡くなります。73歳でした。
多くの宗教者や思想家が、迫害に屈して軍国主義を賛美した暗い時代にあって、牧口会長が貫いた不屈の”精神“は、いまなお、不滅の光を放っています」
http://www2.sokanet.jp/download/kofushi/chronicle11_01.pdf
公明党や、創価学会の人々に問いたい。
牧田初代会長、戸田城聖理事長をはじめとする創価教育学会の幹部21人を治安維持法違反・不敬罪で投獄された、迫害の歴史を無視して、いま、治安維持法と同じ共謀罪「テロ等準備罪」法を成立させていいのですか。顔向けができますか。
このことは、3月にも書きましたが、いままた改めておたずねします。
                 
        

第3章 ドイツ 国民国家の形成と世界列強に    星野進保

2017/ 06/ 06
                 
分散する諸国をまとめて国民国家統一へ

日本帝国憲法案作成の責任者になった伊藤博文が、ドイツのベルリンに到着したのは、1882年(明治15年)5月16日でした。1年半あまり「国民国家」としてのドイツとその憲法の勉強をしました。
ドイツは、ナポレオンの敗北後のヨーロッパでの国際秩序をきめたウイーン会議で、プロシア、オーストリア、バイエルン、ザクセン、ハノーバーなどの39の君主国、自由都市の連邦(国家連合)それぞれが主権をもつ領邦国家の集まりとなっていました。それをプロイセンを中心とし、オーストリアを排除し(オーストリアはハンガリーとオーストリア帝国に独立)ドイツ帝国という「国民国家」に統一したのが1871年でした。伊藤が訪問したのは「国民国家」ドイツ帝国成立後の10年たったばかりでした。
ビスマルクの率いるプロシアは7週間の戦いでオーストリアを破り1866年のプラーグ条約でオーストリアの除外と対フランス戦の勝利を兼ねて、パリ・ヴェルサイユ宮殿で新ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の即位式を行い、ドイツ統一を完成させました。独立維持を守ってきた南ドイツ諸侯も、「国民国家」としてドイツの一員として対フランス戦争に参加し、北ドイツ連邦に包含されていきました。
オーストリアを排除してプロシアは北ドイツ連邦を成立させました。国家連合ではなく、連邦国家です。連邦として各地方による分権主義をとりましたが、軍事・外交については国家の重要な機能として国家に置き、その権限は国王に与えられました。決議機関としては、各地方の代表者による連邦参議院と、民衆の代議機関として国会が設けられました。この代議機関の代議員は、25歳以上の男子による直接秘密選挙で選ばれました。そして、国家の法律、予算の審議票決を行いました。この議決は連邦参議院の決議を得てはじめて有効となります。
プロシアは連邦参議院でもっとも多くの票数をもっていました。プロシア憲法がほぼそのまま北ドイツ連邦のそれに拡大されました。さらに最終的には一部改訂が加えられたもののドイツ帝国憲法もこれと相違ないものでした。プロシアは、国民の意見を議会で吸収しながら、議会の自立性を否定してそれを王権のもとに置くことに成功したのです。わが国の明治の大日本帝国憲法に大きく影響を与えたのです。
伊藤は、ドイツの旅先から岩倉具視に、立憲君主体制では、君権は宜しく立法、行政、司法の上におかなければならない。ことにわが国体上、当地の大権は、すでに天皇に存し、憲法の規定によってはじめてそうなるのではない。またヨーロッパの形成をみるに力に対する力をもってするしかほかにない。日本がその独立と発展を期そうとするならば、軍備の充実を図ることが、もっとも重要な情勢である。という主旨の手紙を送っています。
欧州ではすでに、北イタリアを統一したサルディニア王国の首相カルブールが、シシリアなど南部を征服したガバルデイ将軍に会って、1861年に「イタリア王国」宣言をしています。

                 
        

英国会下院総選挙保守党圧勝から労働党接戦へ(世論調査支持率)

2017/ 05/ 28
                 
高津定弘さんから興味深い情報が寄せられましたので、転載させていただきます。
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参考情報です。2017年6月8日に、英国国会下院の総選挙です。
4月18日にメイ首相が下院解散による下院総選挙の意向を公表した頃は、保守党と労働党の支持率の差が20%ポイントあり、メイ首相の保守党が圧勝し、コービン党首率いる労働党は地すべり惨敗するという予想が圧倒的でした。

ところが、最新の5月25日実施の世論調査では、両党の支持率の差は「わずか5%ポイント」と急接近したのです。このためか、メイ首相は、総選挙対策;に専念するため、シチリアG7サミットを初日の1日だけに短縮して急きょ帰国したともいわれています。

6月8日総選挙結果は、メイ首相にEU離脱交渉の信任と白紙委任を与えないかもしれません。信じられないことですが、ひょっとしたら、保守党と労働党の議席数の差は「僅差」となるかるかもしれません。
英国民は誰を指導者に選ぶのでしょうか。

下記に2つの関係資料を貼りつけます。リンク情報は次のとおりです。
1. BBCの各種世論調査結果の紹介記事(2017年5月26日)
http://www.bbc.com/news/election-2017-39856354
2. 木村正人ブログ(2017年5月26日)「深読み!イギリス総選挙 カネ持ち攻撃で強硬左派ジェレミー・コービンは復活した」
https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20170526-00071373/

木村ブログで以下の一節があります。
「・・・ 英高級日曜紙サンデー・タイムズをもとに作成したイギリスのビリオネア134人の資産 毎年、イギリスの長者1000人を発表している高級日曜紙サンデー・タイムズによると、今年のトップ長者500人の個人や家族の資産を合わせると、2016年の長者1000人の合計資産より多くなったそうです。
コービンは「この1年間で、長者1000人は資産を14%(830億ポンド)増やし、合計では6580億ポンドに達した。NHS(国民医療サービス)予算の実に6倍だ」と批判の矛先を向けました。イギリスのEU離脱決定で、通貨ポンドが下落し、株式などの資産バブルが加速したのが原因です。
「公共セクターの労働者の給料が年に14%も上昇するだろうか。しかし保守党政権下で富裕層は減税され、金持ちはさらに金持ちになった。制度は金持ちに有利になるようにごまかされている」と、コービンは語気を強めています。 ・・・」

日本のアベノミクスも、結局のところ、GDPという実体経済は長期横ばいのまま、円安と株高による資産バブルを誘発した、というものだったと整理できるかもしれません。これは、田中角栄時代の自由「民主」党とは異なり、格差拡大を是とする「自由」民主党なのでしょう。
コービン労働党党首の超過激思想を必要とするのは日本も同様かもしれません。
いまこそ、「公正(フェア)な政治」が問われているのではないでしょうか。

高津拝

                 
        

日本には治安維持法の負の歴史がある   小榑雅章

2017/ 05/ 24
                 
テロ等準備罪に名前を変えた「共謀罪」も衆議院を通過してしまいました。
諸外国にはみんな「共謀罪」的な法律がある、日本だけがないから、国際条約の批准ができない、と政府は言っています。
そこで一つ伺いたい。戦前の日本には、治安維持法という法律があり、多くの無実の人々が言論・思想を弾圧され、投獄、獄死させられた歴史を持っている、諸外国は、こういう歴史を持っているのですか、と問いたいのです。
かつてのわが日本では、戦争に批判的なことを、茶呑み話で少しでもささやいただけで、治安を脅かしたと警官にしょっ引かれたのです。
その結果、3百万人を越える同朋たちが亡くなりました。近隣諸国にもその10倍ともいわれるほどの被害を与えてしまいました。
残念ながら、私たち日本には言論も思想も封殺し、多くの人々を塗炭の苦しみに突き落とした歴史があるのです。他の諸外国にはない、負の歴史があるからこそ、すこしでもその恐れのあるような共謀罪・テロ等準備罪に反対するのです。
他国では、諸外国では、という論理は、日本には通用しないのです。
                 
        

経済大国への原動力は公用土地の活用と移民の活力   星野進保

2017/ 05/ 18
                 
1820年の土地法で、西部住民からの要望によって、かつての土地条令(1785年)の大区画払下げ方式が、小区画(1区画80エーカー、1エーカー1.5ドル)方式に変更されました。これなら100~200ドル前後で誰でも買える水準でしたので、土地需要が急増し,土地バブルが起きはじめました。1836年には、払い下げの土地の価格は、売値の10倍近くの値段で「ペット・バンク」の担保となりました。投資、投機で土地の売買はふくらみ、地価は昂騰しました。政府財政収入は地価値上がりの土地収入増もあって大幅な余剰金が発生し、政府はそれを各州に公共投資のための資金として分与しましたが、それがまた地価上昇を加速させました。地価昂騰が紙幣発行によって進んでいるとみた政府は、土地代金支払を一切正金支払にするべし、と命令を出しました。各銀行は政府命令による貸付金回収の必要と重なり、正金は市場で全く払底し、バブルは一挙につぶれました。民間はもちろん、若干の州では利払不能、元本返済を拒絶する状態になり、各州は公共事業の発注を中止しました。ナポレオンからの広大な中西部地域の土地の買い取りから急速に拡大した国土を前にして新しいアメリカの未来を期待する“西部を開発せよ”との土地政策だったはずです。恐慌から立ち直るのに数年間を必要としました。
この経験が膨大な公用地政策に反省を促しました。公用地を払下げて財政収入を増やすことを大切にするのか、合衆国全体の利益となる広大な中西部の移住を促進することが大切なのか、の選択でした。論争の結果、移住の奨励こそが、公用地活用の最大の目的となりました。1840年から南北戦争が始まる前年の1860年までに政府が処分した土地は2億7千万エーカー(約1億ヘクタール)余、内払下げられた土地は、わずか7千万エーカーで、残余は無償下附の処分をうけました。
政府の土地は、1862年の家産法(ホームステッド・アクト)によって、公有地の移住奨励に活用されました。5年間一定の土地に居住して開墾すれば、無償で160エーカーの土地が提供されました。約100万の家族が農地を取得しました。同法はその後もアメリカ発展に大きな役割を果たしました。この法律の姉妹法として、農業、工業の専門学校教育を目的として、各州に各州選出議員一人当り3万エーカーが下附されました。
国土開発に大きく役立ったのが、太平洋に達するアメリカを横断する「太平洋鉄道」建設でした。南北戦争の勃発で、南部州議員が合衆国を脱退したので、多年そのルートについてもめていたのが一気に中央線を通ることで決定されました。同1862年に「連合太平洋鉄道」(ユニオン パシフィック レイルロード)に広大な土地下附の法令が議会を通過しました。同法は国民的結合とそれを強化することを目的にかかげています。同鉄道会社は、既に建設に着手し出した23の軌道の連合です。政府は、鉄道1マイル建設する毎に公有地10平方マイルを下附し、政府貸附の1万6千ドルに対する債券の発行を許可しました。2年後それでは不十分なことが分かり、下附地の面積、債券発行高も増加しました。アメリカは広大な国になりました。広大なアメリカにとって鉄道への依存は不可欠でした。駅馬車の時代は遠く後に去って行きました。南北戦争後の急速な発展を支えていきました。1865年から74年の間に3万3千マイル以上の鉄道が建設され、過去35年間のマイル数を9年で2倍にしました。
移民も再び急増しました。夢を実現する機会はいくらでもありました。先に述べたように、自然増加する労働力だけでは大開発が待つ労働需要を賄いきれませんでした。海外からの移民が急増しました。くりかえしてみましょう。1860年から70年の入国者数は、南北戦争を中心にはさみながら230万人、その次の10年間には300万人、移民の8割以上はスカンディナビア、ドイツ、イギリスなどヨーロッパからで、入国者の5分4以上が14歳から45歳の働き盛りでした。彼等は農場の開拓、鉱山の採掘、鉄道建設など西部大開発の一大勢力となり、その後も10年毎に25%、30%の人口増加をもたらしました。西部大開発に続く、アメリカの工業化の中核ともなり、アメリカ経済発展の一大勢力となっていきました。
テキサス北部の大平原に育った牧畜業も、カナダ国境近くまで広がり、屠殺・保冷技術や缶詰技術の進歩で、アメリカの牛肉が世界中に商圏を広げ、北部中央部に広がるプレーリー(prairie 大平原)での、トーモロコシ・麦などの一種作物(ワンクロップ農業)の大規模機械化農業が発達し、アメリカは巨大な農産物生産国となりました。農産物の世界的供給基地となるとともに、工業製品も世界市場に参入してきました。1890年には製造業の生産額が農産物の生産額をしのぐようになりました。1894年にはアメリカの製造業の生産額はイギリスをこえて世界の首位になりました。
アメリカが手に入れた巨大な中西部の土地をほぼ無償で東部・南部からの移住民、海外からの移民に払い下げ、アメリカ連邦政府は、鉄道、水運などの大規模州間インフラを公用地を活用して整備して経済発展の骨格づくりをし、各州がそれらの都市や町村の管理、運用を支援しました。その上で、続々と民間企業が成育し、成長して、アメリカ経済が巨大化していったのです。
南北戦争がありましたが、大量の奴隷の集団労力による大規模棉花プランテーションから,近代的自営農業や製造工業にビジネスモデルを変えることを早めた役割をしたと思います。
1861年末までにサウスカロライナからテキサスに至る南部諸州が合衆国から脱退し、「アメリカ連合国」を組織しました。戦争は合衆国を維持するために行われたのですが、その原因は南部のプランテーションが全く奴隷の集団作業に依存する産業で、広大な土地と大勢の奴隷労働力を不可欠とする移動困難な土地定着型産業だったことです。イギリスの繊維工業が羊毛から綿にその素材を急に変えていったことが南部の棉花生産に永遠の繁栄の幻想を与えていたのです。
南北戦争中の1962年にリンカーン大統領が「奴隷解放」を布告しました。南部のかかえる奴隷制度に対する国際的批判も高まり、北軍による南部州諸港の封鎖が拡大し、食料の欠乏によって南部連合は敗北したともいわれます。いずれ南部型の棉花プランテーションモデルは転換せざるを得ない宿命にあったのです。それが南北戦争の奴隷解放で早まったのです。
南部は敗戦によって憲法「修正13条」による奴隷解放を受け入れざるを得ず、棉花の大農園制度はつぶれました。同時に南部連合に加担した官吏などは議会の承認を得られない限り追放されました。1867年に合衆国に復帰するまでの間、混乱がありましたが,例えば、南部で奴隷を使っていた白人の大多数が不馴れな労働に従事し,地方的商人や工場従業員になったりしていきました。南部も北部の産業化に追いつくようになりましたし、南部地方をきらっていた外国移民もこの地方に入り込んでくるようになりました。
南北戦争中の高関税による過度の生産と輸出促進、西部開発の急速な進展、鉄道建設事業の急伸、投資ブームなどが重なって、南北戦争後のブームが続きましたが、そのブームも1873年には以後5年余続く不況に転じ、企業や工場の倒産、失業が深刻になりました。
この不況下での企業倒産や失業問題の深刻さから、有限責任で事業を設立し、株式発行で企業の拡大を図れる株式会社制度が急速に普及し、株式持合による企業合同や同種製品の数社による生産調整など市場独占による企業防衛の方法が発達しました。南北戦争の時代までは農業の時代でした。南北戦争の後は製造業、商業、銀行などの時代となりました。“1860年代に成功を欲した者は政界へ乗り出した。70年代80年代に成功を欲した者は実業界へ走った。”といわれました。
シンシナティの缶詰業者が、オハイオとミシシッピ両大河の海運を使って北西部の豚肉やタマネギなどの野菜を利用する主要業者間の集中、合同をすすめ販売市場を拡張しました。軌道の巾の異なる鉄道会社の軌道を統一して巨大な鉄道会社にしました。電気通信会社や石油業者(たとえばスタンダードオイル)などが族生し、不況対策とともに大きなネットワークによる競争力の強い合同企業や共同行為(トラスト、カルテル)を作っていきました。1897年の好景気は前代未聞の投資景気でした。好景気は果てしなく続くようにみえました。特に製鉄業の利益は急増し、その株価は将来の予想(エクスペクテーション)利益を資本化した価格までふくらみました。
丁度わが国で、1980年代末の暴騰した地価を株価におりこんで、期待株価を予想したあのバブルを思い出します。この時期に、1901年に、U.S.スティールが、ウォール街の第一人者J.P.モルガンによって出現しました。当時世界一の鉄鋼会社です。
この年の株式市場は、「凡ゆる層の熱狂した客筋が、有金掴んで、あたかも潮のごとくウォール街へ殺到した。そして、取引所附近の株屋の店で日を送った……。新聞紙は、ホテルの給仕や店員や門衛から裁縫師にいたるまでの各種のしあわせ者が,相場で巨万の富をつかんだニュースでいっぱいであった。」(A.D.ノイス「アメリカ財界40年史」)と、その熱狂ぶりが書かれました。
その泡沫的景気が消えたときに、あまり重大な打撃はありませんでした。アメリカの発展の基盤がしっかりしてきていたのでしょう。富豪階級の著しい増加と個人の資産の増加によって、百万長者の時代から千万長者の時代が始まったのです。いいかえれば、国家の力を経済力で測る時代がきたのでしょう。20世紀はいうなればGNP(国民総生産)の時代でした。経済成長率、GNP規模が国力を表すようになりました。
1800年代末には、公有地の減少を土地局委員会が危惧しました。インディアン保留地域の余剰地域を白人移住者に開放すること(1888年 ドーズ法)や内務省内に林業部が設置され、最初の保安林が1891年にできました。アメリカを力強く発展させる原動力“フリーランド、自由土地”であった公有地がなくなってきたのです。地球資源の限界を気にしないカウボーイ経済の時代から,気にせずにはいられない宇宙船地球号の時代に人類は移り出しました。

                 
        

安倍さん、憲法9条を改正するなら15条や25条も改正したらどうですか   小榑雅章

2017/ 05/ 11
                 
安倍首相は憲法記念日の3日に、憲法を改正すべき項目として9条を挙げて「1項、2項を残しつつ、3項に自衛隊を明文化し、2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」との考えを示した。その理由として、憲法9条については「多くの憲法学者が、自衛隊は違憲としている。それを放置するのはあまりにも無責任だ」として、憲法を改正して自衛隊の根拠を9条に追加して現実に合わせてあげるのだとの考えを強調した。
「憲法学者が、違憲とか違憲状態というのだから、改正して現実に合うように憲法を改正しなければならない」というのだとしたら、改正しなければならない条項は他にもいろいろある。
たとえば、第十五条。
  公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
  2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
国民の誰かが、財務省の役人や区役所の窓口担当者を「選定したり、罷免した」ことなど、あるだろうか。また「全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」なんて、だれも信じられないだろう。国会議員の多くは、業界団体、地方地方の要望を背負って当選してくるのだから、「それはダメだ、一部の奉仕者ではない」といわれても、へらへら笑うしかないだろう。
教育勅語教育に感激して、首相夫人が名誉校長になったら財務省も特例をもうけてサービスをする、野党に攻められても、安倍一強のなかで、誰も異を唱えないで下を向いている。だれも憲法違反だ、けしからん、憲法を改正して「公務員は全体の奉仕者ではなく、一部の奉仕者である」とか、「公務員の選定も罷免も出来ません」と改訂しよう、などとは叫ばない。
 第二十条はどうだ。
 この、第3項 「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と明記されている。しかしそれにも関わらず、総理大臣も、大臣たちも公務員たる国会議員の多くが、靖国神社という特別な宗教団体に公式参拝したり榊を奉納したりという宗教的活動をしているのは、憲法違反だと憲法学者もいっている。だから「国及びその機関は、靖国神社は特別に宗教的活動よろしい。公務員も参拝してよい」と憲法改正をすべきなのだが、安倍首相はこのことは何も言わない。
 もっとも重要なのは、第二十五条だ。
  第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
  2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
最大の問題は、この「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と日本国憲法に明記されているこのことが、この日本という私たちの国で守られているか、ということだ。
 つい先日、7日の夜中に福岡のアパートが全焼し、6人が亡くなった。違法の木造アパートにでも住まわざるを得なかったほど困窮した人たちだったと言われている。健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するような状態ではなかったのだ。
 母子家庭で、保育所がないから勤めに行けない。母子が餓死寸前で見つかったと言う報道もあった。
 日本人の約6人に1人が相対的な貧困層という調査もある。この調査で生活意識が「苦しい」とした世帯は59.9%だった。貧困率が増加しているのは、長引くデフレ経済下で子育て世帯の所得が減少したことや、母子世帯が増加する中で働く母親の多くが給与水準の低い非正規雇用だと分析されている。
 「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と憲法にあっても、なおこういう現実がそこにある。
 現実がこうだから、この二十五条を「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有しない。一部の貧乏人は仕方がない」と、憲法改正しようと安倍さんは提案するだろうか。
  憲法というのは、国民の「希望」だ。「目標」だ。「願い」だ。それがあるからその目標に少しでも近づこうと政治も国民も頑張るのだ。「戦争はもう絶対にしない」というのが国民の希望なのだ。
 それをやめて、現実だからそれに合わせるというのでは、それは憲法ではない。そこにはひどい現実しかない。それを少しでもなくそうと言う「希望」も「目標」も「願い」もなくなってしまう。
 安倍という人は、国民の「希望」も「目標」も「願い」も奪い去ろうと言うのか。
                 
        

戦争だけは絶対にだめだ-中内功の原点    小榑雅章

2017/ 05/ 09
                 
昭和55年2月7日、京都の国立京都国際会館で関西財界セミナーが行われていた。折から、ソ連がアフガニスタンに侵攻していて、基調講演を行った日向方斉関西経済連合会会長は、ソ連の脅威を前提に徴兵研究の必要性を主張した。
 「日本は、本格的な局地紛争の抑止力を保つ必要がある]と説き、国民一人一人が国を守る心を育成するべきだと問題提起した。
その時、会場から「異議あり」という声を上げたのが、ダイエーの中内功社長だった。第二次世界大戦で召集され、フィリピンの山の中で米軍と闘い、全身に負傷して九死に一生を得た経験があった。戦争だけはやってはいけない。「あなたは息子さんが戦争に行って戦死してもいいんですか」とつめよった。さらに「わが国は対米追随ではなく、ソ連を仮想敵国とみるべきではない。日本は貿易などで東西の架け橋になるべきだ」とと反論した。
  これに対し、日向が激しく反論。さらに他の参加者らも国防費拡張を支持する発言や「憲法を改正して自衛隊を国防隊として内外に認識させるべきだ」などと相次いで、中内さんは孤立した形になった。それえでも一歩も引かなかった。
日向会長には、公私にわたってお世話になっていた大先輩だったが、私はひるまず、主張した、戦争だけは絶対にいかん、と私は何度も中内さんから教えられた。
 いま、安倍首相は憲法改正に必死だ。憲法記念日の5月3日には、「2020年までに憲法9条に自衛隊を書き加える改正を行なう]と言い出した。そんな改正の必要などまったくないのに、とにかく改正の道筋をつけたい一心だ。
 北朝鮮が攻めて来たらどうする、ミサイルを撃ち込まれたら大変だ、と国民の恐怖をあおって軍備増強と憲法改正を実現しようと見え見えである。
 本気で、北朝鮮が攻めてくると言うのか、北朝鮮ときちんと話し合ったのか、北朝鮮が何を求めているのか、正面から話し合ったのか。中内さんの言うように「日本は貿易などで東西の架け橋になるべきだ」とは考えないのか。
  日本はトランプ大統領の尻馬に乗って憲法改正の機運に利用しようとしているが、国民を目くらましにし、間違った誘導をしてはならない。
 戦争は絶対にダメなのだ。
 先の戦争で、310万人もの犠牲者を出したことを忘れてはならない。